白昼堂々航行中

味方は愛と限りある時間

楽曲『Teleportation』に寄せて〜我想う、故にアイドルあり〜

ものすごく今更な上にものすごく傲慢なタイトルで恐縮ですが、中島健人さんのソロ『Teleportation』は私が思うアイドルそのものを歌ったような曲に聴こえてしまうという話です。

さらに私が好きなアイドルは私の中にしかいないのではないかって話を書き留めておきます。

 

最初にも述べましたが楽曲の考察というよりは、この曲が私の今現在のアイドル観に近いようだっていう話です。

いつもながらに自分の存在がでかい文章。

 

もともとの曲はとても近しい関係にある人にすぐに会いに行きたいテレポートしてっていう物語だと思いますが、アイドルとファンの関係にも当てはまるのではないかと思っています。

そして念力を使ってテレポートさせているのは、こちら側なのかもしれないっていうところから始まってます。

 

アイドルのファンであるため一歩離れた第三者でも(全く関係ないという意味ではもちろん第三者なんですけれども)、がっつり彼の担当というわけでもない自分がこういうことを言うのすごく傲慢ですね、

なんだか利用者側が「お客様は神様だ」って言っちゃうみたいな危うい感じもするけど、棚にあげまくります。

 

この曲をアイドルそのものの曲として聴くとき「映画とかテレビとかコンサートとかでファンの前に姿を見せる」みたいなアイドル側の話と、「私の中でいつでも勝手にアイドルを顕現させられる」っていうこちら側の話と両側面があると思います。

アイドル側については完全に憶測になるし、ファン側といっても自分のことしかわからないので(自分のことすらわからないこともあるけど)その話をします。

 

そもそも「我想う、故にアイドルあり」っていうよりは「私たちが思うとき、いつもアイドルはそばにいる」みたいなのの方が近いかもしれないです。

 

私が想ったときにはそこにアイドルはそこに居て彼自身がどんなところに今存在してようと雑誌だったり、映像の中だったり、ラジオだったり、私の妄想の中だったり、アイドルとしての彼はいる。

つまりは、どこにでもテレポートしてくれる。

 

神様のことを蝋燭の火に例えることがあるけれど、それと近いのかもしれません。

蝋燭の火を別の蝋燭に移す、それは同じ火なんだけど違う火になって燃え続ける、っていうイメージ。

移された火も、元の火の一部分とは言えるけれどそれ自体を元の火だとは言えない。

だけどそれを本物じゃないとは言い切れない。

むしろそちらが偶像たるゆえんではと思ってしまう

……偶像を便利な言葉にしてしまう危険が極まってきました。

そもそもこの例えだとテレポートというよりは分身の術かもしれない。

 

 

そして、私が好きなアイドルって、本人そのものというよりは私が頭ん中で思っているアイドルなんだろうなと思います。

これが副題の我想う、になるわけです。

私が見ることが出来た舞台、コンサート、レポ、雑誌、テレビ番組、その人に対するコメント、そんな諸々を自分の中で組み合わせて作り上げたアイドルのことが好き。

 (でもこれって多分アイドルだけじゃなくて、私たち自身もこうやって見られて「らしさ」みたいなものが作られているのだろうな)

 

そう思えば「私が思うとき、いつもアイドルはそばにいる」。

ちょっとあやしい話になってきたけれど、やっぱりご本人の力あっての「私の中のアイドル」で、美しく燃え続けてほしいなというさらなるエゴの押し付けで締めさせていただきます。